【ツインレイ】宿命のひと / ツインレイでなければ良かった
「ツインレイ」という言葉の中には、とても甘く
ロマンティックな幻想が含まれています。
ツインレイは「運命のひと」とも捉えられてきますので
甘いイメージが広がるのは当然のことでしょう。
確かに、運命のひとと言い換えられるかもしれませんが
更にもう少し深く突き詰めていくと
「宿命のひと」の方がしっくりくるように思います。
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運命と宿命は、非常に似通った印象があるものの
本質的には全く異なったものになっています。
宿命には少し重い雰囲気が加味されていることから
本来であれば「宿命」と捉えるべき場合でも、代わりに
「運命」が用いられることが多いかもしれません。
運命は、数ある選択肢の中から自分の意思で選び取り
自らの手によって将来を切り拓いていくものです。
その為、自分で自分自身の運命を決定することが可能です。
一方の宿命は、自分の意思や選択が及ばない領域であり
抗いようのないもの / 避けられないもの です。
その為、自分の自由意思に基づいて
自分自身の宿命を決めることは不可能となってきます。
例えば、私たちが
生まれ落ちる環境や両親を選べないのが宿命ですね。
厳密に言うと
私たちは自分の両親をきちんと選んで生まれてきますが
詳しく紐解くと長くなりますので、ここでは割愛します。
(簡単なご説明では、魂同士の約束の下に生まれてきます)
ツインレイとは、謂わば 宿命のふたり ですので
三次元世界における私たちの自由意思によって
ツインレイであることを選択するのは不可能です。
何故ならば、輪廻転生を行う際に
相手の魂とツインレイの契約が結ばれているからです。
ですので、自身の意思や願望そして選択によって
誰かを自分のツインレイにすることは決してできません。
ツインレイとして人生を全うする契約が不可欠であり
この契約のない限りでは
「ツインレイ」は儚い幻想に過ぎなくなります。
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自分の意思や選択の一切及ばない現実世界の中で
ツインレイの宿命を生き抜いていくことは
生命線がなくなってしまうかのような苦しみの連続です。
時には、消えてしまいたい願望が湧き上がり
自ら命を絶つことも頭を過ぎるでしょう。
「こんな思いを味わうくらいなら
いっそ、ツインレイでなければ良かった」と
宿命を呪う瞬間も度々起こってくるはずです。
真のツインレイの世界では
夢のようなファンタジーは一切存在しないからです。
特にサイレントの明ける前は、繰り返し繰り返し
生きるか消えるかの崖淵に何度も立たされます。
ふたりの宿命を感謝と共に祝福できるのは
サイレント / 再会を経て、統合期へ入ってからです。
今回お伝えした内容は、もしかすると
あまりお心の底までは響かないかもしれません。
そのようなときは、どうかそっとお読み流し下さい。
またいつの日か、お読み返し下さることを願っています。
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